ゆかりの人物

土方歳三

石田寺(土方歳三墓所)の御朱印|鬼の副長の故郷に馳せ参じた(東京都 日野市)

石田寺の御朱印 「新選組副局長土方歳三」が生まれた石田(いしだ)村にある「石田寺(せきでんじ)」に訪問。 歳三のルーツを探る旅となった。 石田寺には土方歳三の墓と顕彰碑が置かれており、後年になって土方歳三の兄の子孫が建てた「土方歳三義豊之碑」などもあり、土方歳三の聖地となっている。
国分寺

甲斐国分寺の御朱印|廃寺同然であったお寺を復興したのは、やはりあのお方であった(山梨県笛吹市)

甲斐国分寺の御朱印 奈良時代聖武天皇の詔によって建立された「甲斐国分寺」。ところが、平安時代中期から律令国家の衰退と合わせるように寺の荒廃が進んでしまう。豪華絢爛なお堂などは戦乱に巻き込まれ悉く焼失し、広大な土地も次第に失い、廃寺寸前まで追い込まれる。この事態を憂慮した「武田信玄」が、寺の領地寄進や住職の入山など、手厚くサポートし見事に再興させたと伝わる。
どうする家康

最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県 東金市)

ご朱印 最福寺  最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。
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