最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県 東金市)

どうする家康
どうする家康ゆかりの人物千葉県大河ドラマ寺院徳川家康
最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。

参拝日:2022年9月10日

お寺の紹介

最福寺
807年、日本天台宗の祖最澄により創建されたという、歴史あるお寺。
なお最澄と言うと天台宗であるが、1479年に当時の住職が法華宗に改宗。現在は日蓮系の単立本山とのこと。

正式名称

 安國山 最福寺

御本尊

 一塔二尊四師 

御朱印

 中央に「南無妙法蓮華経」と記載。訪問時はコロナ禍のため書置きのみの授与となった。

最福寺の御朱印
最福寺の御朱印

御朱印所について

 大黒殿にて購入

みどころ

門前に広がる「八鶴湖」

東金,最福寺
お寺の目の前にある東金八鶴湖の眺めは天気も良く最高であった。

最福寺の山門

東金,最福寺

東金,最福寺
大きな石碑には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。

東金,最福寺
「安国山」と書かれた扁額。

本堂へと続く階段

東金,最福寺
門をくぐるといつもの急階段が現れる。頑張って登る。

家康公と並んだ日善聖人像

東金,最福寺
本堂へ向かう途中、徳川家康と日善上人が並ぶ石像を発見。隣には二人の関係性を示す看板も。
看板には「家康公は、東金から日善上人を駿府城に招き、二人だけで密談」との一文記載されており、豊臣征伐の決断に迷う徳川家康が、半年前に出会った日善上人を頼ったことが伺える。まさに「どうする家康」。徳川家康の人柄がしのばれるエピソードだ。
東金,最福寺
徳川家康と日善上人との関りについて解説している看板。鷹狩りでつかの間対談した日善上人が、家康の晩年を大きく左右したことがわかる。どのような対談だったのだろう。

東金,最福寺
家康と密談している様子を石像にしたとのこと。歴史が動く瞬間を切り取ったものになる。面白い。

坂道の上に見えてきた本堂

東金,最福寺
急な坂道を、息を切らしながら登り、到着。
東金,最福寺
本堂

「切られ与三郎の墓」

歌舞伎狂言作品のモデルとなった顛末が書かれている。
歌舞伎狂言「お富・与三郎」のモデルとなった唄方「四代目伊三郎」の墓

「聖徳太子像」を祀る太子堂

古びたお堂を発見し、よく見てみると聖徳太子を祀る「太子堂」というものだった。

字が薄れているが「聖徳太子像」の文字が見て取れる。
中には、かなり古そうな聖徳太子像が丁寧に祀られていた。

大黒殿

大黒天を祀っているお堂。開運の御利益を期待したい。

境内の左には大黒殿
こちらで御朱印を頂いた。

日蓮聖人「思親の像」

日蓮聖人が、身延の山より房総の両親に思いを寄せている姿を現した「思親」の像を発見。
どこかで見たことあるような・・・。
久遠寺でも出会っていました!

大黒殿からの眺望

東金,最福寺

アクセス

住所

所在地千葉県東金市東金1693
最寄駅JR外房線東金駅下車、徒歩7分
駐車場情報無料駐車場あり
公式サイトhttp://saifukuji-togane.org/

GoogleMap

ご当地グルメ

世界一小さなチョコレート工場

千葉県茂原市の「あられちゃんち」というお店が展開している、チョコレート菓子専門のお店。「あられちゃんち」自体は、お煎餅をはじめとした色々なお菓子の直売所となっている。このお煎餅類を利用して「世界一小さなチョコレート工場」では、店内の小さな製造工場でチョコレート菓子を製造・直売している。お店を訪れるタイミングによっては、お買い得な商品を発見できることもあり、東金市に行ったら必ず立ち寄るところ。柿ピーがおいしいので、一度試して頂きたい。

合わせて読みたい徳川家に関連する記事

上野東照宮の御朱印|江戸初期に建立された当時の社殿は華やかで荘厳な造りであった(東京都上野)
あの徳川家康公を祀る神社。それが東照宮。ここは江戸の人々にもお参りに行けるよう、日光東照宮に準じた豪華な社殿が立てられた。戊辰戦争にも、関東大震災にも、東京大空襲にも難を逃れ、江戸初期の姿のまま残っている貴重な社殿である。
増上寺の御朱印|徳川将軍家菩提寺の御朱印を徹底解説!境内の案内板も詳しく掲載します。(東京都 芝)
増上寺は、歴代徳川将軍の墓所が置かれており、徳川家の菩提寺となっている。家康が大切にしていた「黒本尊」も祀られており、とても縁の深いお寺だ。
日光東照宮の御朱印|何が違う?平成の大改修を終えた日光東照宮(栃木県 日光市)
日光東照宮の御朱印 1617年(元和3年)、徳川家康(東照大権現)をご祭神に祀った神社 「久能山東照宮」「上野東照宮」とともに三大東照宮に数えられる 家康が亡くなった翌年に、遺言状に従う形で久能山から日光東照宮へ遷された 1645年(正保2年)、宮号を賜り「東照宮」と呼ばれるようになる 現在の主な社殿は、3代将軍家光により、1636年(寛永13年)に建て替えられたもの 隣接する輪王寺は、源頼朝の時代から東国の宗教的権威となっていた 家康が東照宮をここに置いた理由と考えられる
徳川家霊廟|徳川家のお墓っていったいどんなところ?霊廟と将軍について完全ガイド(東京都 増上寺/寛永寺)
増上寺境内に祀られている徳川家の歴代将軍の墓所が一般公開されていると知り、増上寺へと向かった。境内のこじんまりとした一角に将軍たちが埋葬されているが、戦前までは立派な霊廟が立ち並んでいたそうだ。当時に思いを馳せながら手を合わせる。
赤坂氷川神社の御朱印|徳川吉宗が建立した当時の姿をそのまま今に残す神社(東京都 赤坂)
「東京十社」に数えられる赤坂氷川神社は一千年以上の長きにわたり、「厄除け」と「縁結び」の信仰を受け継ぐ歴史ある神社だ。徳川吉宗公によって建立された社殿は、多くの災害を免れ、建設当時の風格を今に伝える貴重な建築物と言える。その立地は都心の一等地にあるにもかかわらず、境内は美しい緑に囲まれており、江戸時代の趣を感じさせる鳥居、狛犬、灯籠など、数多くの貴重な江戸の景観が残されている。
良玄寺(本多忠勝の墓所)|徳川四天王の一人「本多忠勝」のお墓へ行ってきた(千葉県 大多喜町)
大多喜城下町の名残を残す町並みに、ひっそりと佇む良玄寺。大河ドラマ「どうする家康」でも活躍中の本多忠勝と、大坂夏の陣で戦死した息子「忠朝」が眠る墓所がある。遠くには大多喜城も望むことができる。
喜多院の御朱印|江戸城の徳川家光公誕生の間が残っているお寺!(埼玉県 川越市)
喜多院の一部は、江戸城の建物を移築して建立されていることで知られる。その喜多院には江戸城の風情が残されており、戦乱や火災による炎上を何度もくり返しながらも復興を繰り返し、その姿を今に伝えている。 参拝日:2015年6月24日 お寺の紹介 「...[続きを読む]
日光山輪王寺の御朱印|徳川三代将軍「家光」が眠る輪王寺(栃木県 日光市)
輪王寺の御朱印 徳川家光の霊廟である「大猷院廟」がある、世界遺産のお寺 「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」を総称して「二社一寺」と呼ばれる 766年(天平神護2年)に、勝道上人が開山 平安時代、空海・円仁が訪れる 鎌倉時代、源頼朝の寄進などにより東国の宗教的権威として栄える 江戸時代、徳川家康の東照宮、三代将軍家光の大猷院廟(家光の法号)が建立される 天海大僧正(慈眼大師)が住職となり家康公を「東照大権現」として日光山に祀る さらに慈眼大師・三代将軍家光も祀られ、後続出身の僧侶が幕末まで管理するようになる
芝東照宮の御朱印|徳川家康を祀るあの東照宮が東京タワーの近くにあった??(東京都 港区芝公園)
芝東照宮の御朱印 江戸時代初期の1617年、増上寺の境内に創建 増上寺は徳川家の菩提寺 家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれている 徳川家康の「寿像」をご神体とする 還暦記念に自身の像を家臣に彫らせたもの 「芝東照宮」「日光東照宮」「久能山東照宮」「上野東照宮」は四大東照宮と呼ばれる 明治の神仏分離令により増上寺から切り離され、現在の芝東照宮となった 1945年の東京大空襲により「寿像」と神木であるイチョウを残し、全て焼失 1969年に現在の社殿が再建された
最福寺の御朱印|徳川家康と日善上人の関係性とは(千葉県 東金市)
ご朱印 最福寺  最福寺の住職であった日善上人と徳川家康との出会いは、鷹狩りのため家康公が東金を訪れたことがきっかけだった。鷹狩り期間中、最福寺御殿にて対談したとの記録が残っている。半年後、豊臣征伐の決断ができずにいた家康公は、駿府城へ日善上人を招き密談を行っている。ここでのやり取りが決定的となり、家康公は豊臣征伐を決定し、後の大坂夏の陣へと進んでゆくのであった。
error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました